渋沢栄一著『論語と算盤』第5章「理想と迷信」の中で、人は、人として生まれたからには、人としての「趣味」をもって欲しいという。
社会の中で一人前の「趣味」をもって、その「趣味」のレベルが上がっていけば、それに見合った成果が世間にもたらされるようになるだろう。そして、「趣味」のある行動であれば、必ずその仕事には心がこもるに違いない。もしお決まり通りに仕事をするだけなら、生命など宿らず、型通りのものにしかならないのだと。
さらに、孔子の言葉に、「理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない」とある。「趣味」の極致である。
自分は何をしている時が楽しいと感じているか。時間の経過を忘れて、楽しくて楽しくて何かに没頭しているときは、どのようなときか。そのような「何か」を見つけられた人は、幸せである。それだけで、世の中に役に立つ存在となり得ることができる。そこには、生命が宿る価値あるものが生産される。その生命が宿る真心のこもったものを、人は欲しいと思うものだ。
そう。わたしは、楽しいと感じることを大切にしたいと思う。